Thursday, December 25, 2014

バンドゥンで生きる日本人02:金井雅人

プロフィール

1967年群馬県高崎市生まれ。米国ピッツバーグ大学言語学科卒業後、7年ほど日本で英会話教室を開く。紆余曲折を経てサンフランシスコのLife Chiropractic College WestにてDoctor of Chiropracticの学位を取得。2012年よりバンドゥンで唯一の日本人カイロプラクターとして奮闘中。毎日15キロくらい歩くのが日課。趣味はギター。スーパーマーケットの値段を比較してしまうなど主婦的一面も。




インタビュー(インタビュアー:いぬまむつみ、2014年バンドゥンにて)

-素晴らしいキャリアをお持ちの金井さんですが、英会話の先生からカイロプラクターへ大転換したのはどうしてでしょうか。

英会話教室は当時結婚していた女性と経営していたんですが、離婚をきっかけに躁鬱になっちゃって。1ヶ月ベッドに寝たきりで起きられなかったり、心の啓発本とかを読むと逆にイライラして、その本を壁ぶつけたりとかなり荒れていました。そのとき母親がどこかからカイロプラクティックの情報を仕入れてきたんです。カイロプラクターの方に首をパキっとやってもらったとき「おおお!」と目覚めたような気持ちになりました。

-へええ!

それから、心療カウンセラーをやっている友達の母親に、何も考えずにとにかく歩けとアドバイスされ、初めは家の周りの1ブロック、次は2ブロック、ってどんどん距離を伸ばして歩くようになりました。そうやって歩いているときに、たまたま立ち寄った本屋の旅行雑誌でグレート・バリア・リーフの写真を見て「これを見ずに死ねないな」と思った。だんだん気持ちが明るくなってきて、これから人生どうしようと思ったときに、カイロかな、と。
それで東京のカイロの専門学校に、夜間ですが2年通いました。このときすでに34歳。もう若くない。病気も完治していなくて、皆ができて自分にできないことがあると、自分はダメなんじゃないかと思って学校帰りの電車で泣いたこともありました。

-34歳のおっさんが電車で泣いていたわけですか。

そうです(笑)なんとか卒業して、もうちょっとカイロを勉強したいと思って海外の学校を探し始めました。身辺整理もしなきゃいけなかったので準備には1年くらいかかりましたが、また人生が開けそうだと感じ、ウキウキしていました。当初はオーストラリアの学校に行こうと決めていたものの、途中で方向転換してカイロプラクティック誕生の地、アメリカに行くことにしました。4年制の大学はペンシルバニア州のピッツバーグという大変寒い所だったので、今度は暖かい所にしようと、反対側の西海岸のサンフランシスコを目指しました。ただ、ピッツバーグ大学では言語学専攻の文系だったため、サンフランシスコの小さな学校でまず大学の理系科目を履修し、1年後にやっとカイロの大学へ入学が認められました。大学の勉強はきつくて病気が再発することもあったけど、友人やホームステイ先の家族に助けられました。4年後の42歳のとき、無事卒業して晴れてカイロプラクターになりました。



-長い長い道のりだったんですね。バンドゥンに来られたのはどうしてですか?

大学卒業後、しばらくアメリカを放浪していたとき、大学の後輩にインドネシアで働かないかと誘われました。アメリカで働くつもりだったんですけど、いいや、行っちゃえ~と。半年ほどジャカルタで働いて、次はバンドゥンに行ってくれと頼まれたので、2012年2月にここに来ました。



-もともとバンドゥンに来るつもりはなかったんですね。バンドゥンに来てよかったと思いますか?

最初は道や川は汚いし、道路事情や交通事情が悪くて歩行者に優しくないし、雨が多いし、財布をスラれたりして、バンドゥンに対して正直良い印象はありませんでした。それでも街を一通り歩き周り、色々分かってきて、じわじわとバンドゥンの良さを感じています。涼しくて人が優しくて過ごしやすいところはもちろん、街がコンパクトで、人口250万人もいる都市なのに田舎の良さを残しているところが好きです。こっちでは日本みたいに一斉に田植えをするのではなくて、一方の田んぼで田植えをしていれば、他方で稲刈りをしているなど、バラバラなんですよ!田んぼに囲まれて育ったので、青田と黄金色の稲穂を同時に見るのは新鮮で面白いです。
あと不思議とギター製作家が多いですね。田んぼを歩いていたらギターを作っているおじさんに出くわしたり(笑)。バンドゥンは音楽が盛んな街ですが、こっちの人はギターが高くてなかなか買えないから、一種の反骨精神で、自分たちで造る技術を身につけたんじゃないかな。そういうのを知ると、ギター好きの自分はバンドゥンに呼ばれた感じがします。



-呼ばれた感じがするって、なんだかロマンチックですね。最後にお聞きしたいんですが、しんどい状況を抜け出すヒントってなんだと思いますか。

人と関わることだと思います。自分より優れた人と知り合うと、自分の小ささを覚えて、悩みなんてだんだんどうでもよくなってしまいます。カイロを通してすごいなーって思う人にたくさん出会いました。このバンドゥン-ジャパンハウスのみなさんもそうです。僕より一回り以上年下の人もいるけど、皆人生経験豊富で、僕なんか一番ペーペーです(笑)。みなさんを通してインドネシア人の友人もたくさん増えて、本当に楽しい思いをさせてもらっています。









インタビュアー&ライター:いぬまむつみ(23)

記者志望の女子大生。色黒で濃い顔ゆえ、幼少のころから東南アジアの国の人だと間違えられること多数。先日は日本でインドネシア人の女の子に日本語で道を聞かれ、案内した後に「日本語上手だね~」と褒められる。至極丁寧に道案内したにも関わらずインドネシア人に間違えられていた模様。でも悪い気はしない!インドネシア大好きです!